書籍『大弔辞――先輩、友、後輩へ綴られた最後の愛の手紙』

結婚披露宴で祝辞を詠んだことのある人はかなりいると思うが、葬儀で弔辞を詠んだことがあるという人は案外少ないのではないか。個人的に、弔辞はそれなりに功成り名遂げた人に対して詠まれるものというイメージがあるし(そうでもないのかもしれないが)、故人とよっぽど親しかったとしても、二つ返事で引き受ける人もあまりいないように思う。最近、その名も『大弔辞――先輩、友、後輩へ綴られた最後の愛の手紙』という本を上梓した演出家で編集者の高平哲郎(かつては構成作家として「今夜は最高!」や「笑っていいとも!」などといったテレビ番組にも携わった)の場合、仕事を通じて多くの著名人とつきあいがあるものの弔辞を詠んだのはただ一度だけだという。そもそも高平はそれまでにも後輩や友人や先輩の弔辞を頼まれることがあったがすべて断り、その代わりに葬儀を仕切る役で故人との関係を貫くことにしてきたというのだ。

《葬儀に立ち合うのは気が重い。だからいつも葬儀の関係者側について、忙しく振る舞いつらい気持ちを押し殺すことに徹してきた。弔辞なんか詠んだら泣いちゃうんじゃないか。泣いて詠めなくなるんじゃないか。だから弔辞は断ってきた》

ー中略ー

淀川長治とは1974年に雑誌「宝島」の編集者として出会って以来、交流を続けてきた高平は、訃報を聞いて打ち合わせの最中だったにもかかわらず涙が止まらなくなってしまう。このとき、打ち合わせの相手は《そういうときは、とにかく会いに行け、どこにいるんだ?》と高平に訊ね、《全日空ホテルです》との返事を聞くや《よし、今日はお開きだ。俺は高ッピラをタクシーで送ってそのまま帰るから》と残った人たちに言い残し、ホテルまで送ってくれたという。この機転を利かせた人物こそ誰あろう、先ごろ亡くなった落語家の立川談志であった。このエピソードからは、高平の淀川への想いばかりでなく、談志の人情の篤さも伝わってくる。

本書は自分が弔辞を書く際にはおそらく役に立たないだろう。下手に真似すると、参列者を感動させてやろうといった思いが先走り、結局失敗してしまうような気がする。それでもひとつだけ実践上で参考になりそうなものをあげるなら、《いい弔辞には必ずあるもの。それは弔辞を詠む人の、故人への「愛」にほかならない》という著者の言葉に尽きよう。もっとも、その「愛」をどう表現するかが難しいわけだけれども……。(近藤正高

高平哲郎氏の「高」は正しくはいわゆる“はしご高”ですが、機種依存文字のため、本稿では「高」の字を使用しました。

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