ここで… 心のこもった式を希望に沿うように

 ニュータウン通り沿い、諏訪下橋の東側に建つ事務所兼ホール。「厚生壮病院に勤務していた父親は、患者さんが亡くなる度に職員が府中の葬儀屋まで行くのを見るにつけ、多摩市内に葬儀屋の必要性を感じていました。親戚が営む南千住の石井商店の支店という形で母親が始めたんですよ」と、昭和19年に多摩市で創業したいきさつを、落ち着いた口調で石井商店二代目社長の石井清和さん(71)が語ってくれた。
 当時この辺りの冠婚葬祭は地域の約20戸で構成された「講中」によって自宅で執り行われていた。棺などは手作りしたり、「森沢商店」(東寺方)で取り寄せたりしていたという。葬儀屋の仕事は花輪や祭壇を手配設置することが主だった。
 多摩ニュータウンの諏訪・永山団地への入居開始を前に、清和さんは南千住の本店(当時)から多摩の支店に移り、両親を助けることに。葬儀の場が自宅やお寺などから式場中心に移りつつあった時と重なる。
 ここ10年は団地や自治会の集会所でも行われなくなり、葬儀といえば式場で行うのが当たり前。年々簡素化の傾向は続き、今は最大でも百人規模にとどまり、主流は20人ほどの家族葬だ。通夜のない葬儀を行うこともある。音楽葬や献花葬なども増えた。事前に葬儀のことで“本人”から相談を受けることが多くなったのも最近の傾向だという。
 24時間受付け、365日無休。電話応対は、いつも心が引き締まる。家族旅行はいつも交代制。「もうすぐ目的地」という時に応援依頼の電話を受け、高速をUターンしたことも。決まった休みが取れない。そこに家族経営の強みが生かされ、67年の長い年月の間、信頼を積み重ねてきた。「心のこもった式を、希望になるべく沿うように」というポリシーは当初から、下町の「なるべく安く」という伝統も息づいている。
 この9月、家族葬ホール「せいわ」をオープンした。近年の式場不足は深刻で、葬儀場待ちは最短でも4日、10日に及ぶ時もあるからだ。利便性の高い少人数用のホールは三代目勉さん(43)に引き継がれていく。

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